cliché

駄文書き。amazarashi/歌詞考察/哲学/本や映画の感想/その他もろもろの雑感 について語ります。

グレーゾーンの中で「月曜日」がループする

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amazarashi 月曜日 歌詞 - 歌ネット

 

白黒付けたくない。

これは優しさではなく、優柔不断ゆえの結論。

正しい答えがあるものなんて、数学の世界くらいじゃないか。

そう思うほどに、世の中は解のない問題で溢れている。

炎上事があったときなんて、特に思う。賛成派と反対派の意見を読めば読むほど、どちらの意見ももっともなように見えて結論を出せなくなってしまう。

 

これは優しさじゃないんだ。自分を戒めるように考える。

確かに、しなやかさは大切だ。すぐにどちらか一方の意見に傾いてしまうのも良くない。その点においては、揺らぎは強さである。

 

だけど、自分の意見を固めるためには、思い切りというものが必要で。

私は確固たる僕を持ちたい。

 

 

 

ーーー

 

そんな気分の中で今日は、amazarashiの「月曜日」についての感想・解釈を書きたいと思っています。

 

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「月曜日」amazarashi CDジャケット

 

そもそもこの曲の背景を話したい。

これは「ちーちゃんはちょっと足りない」「空が灰色だから」で有名な阿部共美さんの漫画「月曜日の友達」の主題歌としてamazarashiが書き下ろした楽曲だ。

 

事の発端は、阿部共美さんの方からamazarashiの曲を主題歌に使って良いか訊いたことで始まったらしい。それを受けて、もともと阿部共美さんの漫画に感銘を受けていた秋田ひろむさんが「それだったら書き下ろさせて下さい」と提案して生まれたコラボ曲だそうで。ニュースを知った当初はこの二人がコラボするんだ・・・と驚いたものだ。

 

正直amazarashi好きな曲ランキングTOP10(同列1位が大量にありそう)に食い込むくらい好きな曲で、いつか歌詞解釈を書こう書こうと思い続けていた。のを、今日書いてしまいたい。

 

 

1Aメロ

やっぱりタイアップ曲だからか、ひろむさんの歌詞の気合いのいれようが1.2倍くらい強い気がする。Aメロからとにかくいい。ひろむさんは情景描写が上手すぎる。

 

一行目から、わかる、あるある。あの場所やあのシーンにわだかまりがあった!と頷いてしまうような情景描写とその言語化の連なり。

 

私の友人は耳にミズダコが出来るくらい聞いたと思うけど、私は

 

いつもより余所行きな教科書の芥川

 

この一節をめちゃくちゃ愛している。

 

学生時代読書が好きで、なおかつ大好きな小説家がいる人ならピンと来るかも知れない。家の中で大事に大事に読みふけって、自分だけの理解者みたいに寄り添ってくれた小説家。

そんな彼の作品が、国語の教科書上で「名作」と紹介されているときの妙な寂しさ!違和感。「違う人」をみているような気持ち。

それをね、「いつもより余所行き」って表現するところがハイセンスすぎて、恐ろしい。

 

そもそもamazarashiの曲は世間の不条理へのアンチテーゼとか、泥沼の中でだって星の光が映ることがある、みたいなテーマ性を持った曲を書かれることが多かったわけです。だからこそすこし難解な歌詞になったり、いわゆる「暗い」歌だと称されることがあったのですが。

 

「体育倉庫」「コートライン」「渡り廊下」に「教科書」。

この「月曜日」は「月曜日の友達」の雰囲気を壊さず、青春の土壌に降りたってその視点で歌詞が書かれてるんです。

 

暗いけどキラキラしてる。

やるせないのに軽やか。

 

学生生活の中で覚える違和感、そこで生まれる選民思想や思春期ならではの痛みを、amazarashiのテーマを崩さずにキラキラと描けるなんて本当の本当に天才だと思う。

 

1Bメロ

ここは比較的分かりやすい箇所で。突然出てきた「君」の存在で、ああ、この物語は生きづらい”僕”と変わった”君”のストーリーなのだと認識させられる。

救いなのだその幼さが

君だけは大人にならないで

どんどん周りが大人になっていって、自分だけ馴染めていないような気がして。そんな中出会った「幼い君」。主人公が”君”に特別な感情を抱くのも必然になってゆく。

 

1サビ

すごい。何がすごいって、「月曜日の友達」に宛てた歌詞なのだとしっくり理解できるから。月曜日の友達、たしかどこかの媒体で試し読みが出来るんだけど、その試し読みを読んだだけでも「うわっ・・・この漫画をこんな風に曲に落とし込んじゃうんですか・・・」という気分になる。

 

「月曜日」という、嫌なもの・鬱々としたもの、という一般的な概念に加えて

「『月曜日の友達』における”月曜日”」の描写もきっちり踏襲している。

 

君の胸の内の深さには遠く及ばないとしても

 

この一節・・・ハァ・・・。

なんて言うか…例えるなら、親友が時折見せる大人びた横顔?それを見たときの掴めなさとか、置いて行かれている感じ。あの感覚を想起させられる。

自分と同一化してしまうくらい大好きな存在の、「知らない部分」「敵わない部分」に触れたときのやるせなさ。

 

 

2Aメロ

ここも1Aメロ同様に、学生時代の目線で切り取られた視野が広がっています。

全音符のクラクション

もうこの一言だけで震えてしまう。

普通、音の描写をするときって気持ちに訴えかけたり、音そのものの特徴を連ねると思うの。「もの悲しい音」とか、「甲高いチャイム」とか…それを”全音符”でまとめてしまう力…

しかもそれだけであの独特な間伸びた音を思い出すでしょ。その音を聞いた風景が思い浮かぶでしょ。放課後、閑散とした駅で聞いた電車の「プアァーン」って音とか響いてきたもの。

 

近寄る度多くを知る

知らないことは多いと河川から望む学区外

ここが何度も言ってる、「思春期目線に落とし込んだamazarashi観」なんです。

 

近づくほど多くを知る、というのは身近な感情で、大人になればなるほど自分の無力さを知るって経験は誰しもあると思うんです。でもそれに「河川から望む学区外」って付け足すことで、グッと高校生の視点にフォーカスされる。飛び出したくても飛び出せなくて、遠くに見える学区外を河川敷からぼおっと眺める少年少女が重なる。

 

2Bメロ

ここも1Bメロと同じく、身近な心情が連続して書かれている。

「儚いから綺麗」とか言った

花火が永遠なら良かった

 

ひろむさんらしいなって思うのはこの一節です。

amazarashi好きの友人も言ってたんだけど、この「とか言った」の「とか」に込められた意味合いのパワーが強い。

儚いから綺麗、なんていってみるけれど、本当は美しいものや楽しいものがずっと続いていく方がいいに決まってるじゃない。

それでもそう呟くことがセオリーみたいに、「終わりが来るから美しい」なんて大人は言う。

だから、大人の振りして”僕”も言ってみる。

 

2サビ

ここも素敵に漫画の内容を落とし込んでてため息が出る。

満月を真っ二つ切り裂いた

って部分は、詩的な意味合いと物理的な描写の二点あると思う。

「月曜日の友達」で主人公とヒーロー役二人がプールに飛び込むコマがあって。なかなか理解し合えなかった二人がようやく「友達」になる重要なシーンなんです。

「生まれて初めて友達ができたよ」って笑うヒーローの背には大きな満月が輝いていて、その満月の映るプールの水面を二人で水切りした描写なんじゃないかと。

 

 

 

Cメロ

ここね~~~amazarashiの曲はいつもCメロで苦しませてくる。

全部引用したいよ~~!

特別な人間にもなれなかった僕らは

せめて認め合う人間が必要だった

 

キラーセンテンスはここです。

そう、ここで冒頭の「白黒」の話をしたかったの。

 

自分語りになってしまうけど、私ってすごくハンパな人間だという自覚があって。

 

真面目でもユニークでもない。

何かに長けているわけでも、何も出来ないわけでもない。

おとなでも、こどもでもない。

「まとも」でも、「変人」でもない。

 

ずっとグレーゾーンだと思っていて、だからこそ生きづらい場面がたくさんあった。

 

わかりやすい例で言うと、「ADHD」って個人的に身近なワードで(っていうか最近ネット全体でミーム化しちゃってるよね)。「自分ADHDだわ~」って思うことが頻繁にあるんだけど、正直診察は受けたくない。実際に診察されたら、ADHDではないと言われそうな気がして、それだと私がただ怠惰でちょっと社会不適合な人間だと証明されてしまうから。

 

「まとも」になるのが苦しいから、「天才」「変人」という免罪符が欲しかった。でもそんな風にはなれないから。だったらせめて、一番の理解者が必要だったんだよ。

いろんな場所からはじき出されて、ついにはゴミ箱からもあぶれた”僕”にとって、自分をよく理解してくれる”君”は特別な存在になってしまったんだと。そういう思い。

 

ラスサビ

確かに似たもの同士だったけれど

僕ら同じ人間ではないもんな

 

ここから1番と相互作用しながらエンディングに向かっていく。

「あなたの胸の内の深さには遠く及ばない」と思いながら、「理解者であり似たもの同士だ」と信じていた。

だけど、人それぞれ違った人生を歩んでいて、みんな少しずつ変わっていってしまう。

 

永遠に別れはないと

永遠なんてないと知って誓った

それが愛や友情には遠く及ばないとしても

 

 

儚いから綺麗とか言った、あの日の花火。永遠なんてないと理解していても、「花火が永遠なら良かった」と思えた幼さ。

もうその幼さに凭れられなくなっても、「ずっと一緒にいよう」と唱えた。

 

もともとはあぶれ者同士が、自身を認め合うために心を打ち解け合った仲だから。愛や友情という純粋な関係性には遠く及ばないかもしれないけれど、それでもずっと一緒にいたい・・・そういう感情の表れ!!

 

なんて言うべきか分からないけど、とにかくすごい。文学作品だと思う。気軽に「私の歌だ!」なんて言いたくないけど、あまりにも生々しく私の感情に重なっていると思う。

 

 

まとめ

「月曜日」はタイアップ曲としても完成度が高いし、ひとつの楽曲として聞いてもメッセージ性の強い歌だと感じます。

 

「大人になれないけれど、その違和感に気付いてしまうくらいには成長してしまった自分」。

そんなグレーゾーンでじたばたしてる自分にとって、この曲は大切な一曲です。

 

ーー

・・・と、長々と、まとまらない文章を書いてしまいました。ここまで読んで下さった人ありがとう。

 

ずっとずっと書きたかった「月曜日」の感想が書けて良かった。

 

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「月曜日の友達」、素晴らしいのでみんな読んで下さい。それでは。