「『当たり前』を疑う学問」ーー社会学っていったいなんだ
「社会学って何?」
って質問は、社会学部あるあるクエスチョン。そして、とっても困る質問ナンバーワン(私調べ)。
だいたいこう聞かれると、「うーんと心理学みたいな感じで人間の……行動原理とかを学びます」としどろもどろに答える。
もっと具体的に……と言われて、「福祉とか……哲学とか……」と返すと、「あ、そういう感じね!難しそう!」と言われがち。
むず痒い。上手く伝えられないこの気持ちがむず痒い。
でもある授業で、教授が「このテの質問って難しいんですよ〜範囲が広いからねえ」ってボヤいているのを聞いて安心した。教授が答えにくい質問に私がスラスラ答えられるわきゃない。
だって、本当に様々なんです。
哲学や心理学はイメージしてもらいやすいと思うけど、街づくりとか統計学とか経済学とか福祉とか、もろもろ全部含んでるとなると訳わかんなくなってくる。ごった煮学部。社会学を超絶理解してる学生ってどんくらいいるんだろう……。
Wikipediaを頼ってみる
こんな時は我らのWikipediaに頼ってみよう。
どれどれ……
社会学(しゃかいがく、仏: sociologie)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を統計・データなどを用いて分析することで解明する学問である。
漠然!
思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。
漠然〜〜!
そもそも「社会」学というふんわりした名前がいけない。
経済学→経済の事ね
法学→法律とか学ぶのね
神学→宗教的な?神様的な?
心理学→人の心を学ぶんだね
社会学→社会?西暦とか覚えるの?
ってなるやろがい!
なんでこんなふんわりした名前なのかって、さっきも言ったように社会学って広範囲かつ包括的な学問なんですね。
社会学って名前を生み出したコントによると、「社会学は歴史学、心理学、経済学を統合する実証主義な科学的研究でなければならない」らしい。
うーんイマイチ理解しにくい言い方だけど、とにかく社会学ってのは包括的な話なんです。
社会学はすぐそばにある
説明がごたついたせいで、ふーん、よく分からんけど色々やってんのね ってだけで終わってしまったらもったいない。
ほんとは社会学はものすごく身近で、めっちゃ面白い分野だって事を伝えたい。
もし社会学にキャッチコピーを付けるなら、『「当たり前」を疑う学問』って感じのが主流でしょう。
自分にとって当たり前のことが、自分が生きているこの社会の中でどういう位置付けになるのか考えられる学問なんです。
じゃあちょっとここで閑話休題。
この学問を身近に感じてもらうためにも、私が「面白い!」って目からウロコが落ちた社会学用語を2つお話します。
ドラマツルギー
たとえばこういう事を考えたことありませんか?
「気を許せる友達とそうじゃない友達とだと、すごく人格が変わってしまう……」
「バイト先に友達や知人が来るとなんとなく落ち着かない」
「自信はないけど、リーダーを任せられたからリーダーらしく振る舞わなきゃ……」
この気持ちはだいたい「ドラマツルギー」という社会学の現象で説明できます。
ドラマツルギーとは、「人間は自己のアイデンティティに沿ったパフォーマンスをしてしまう」という概念です。
これが内包する作用に、「役割演技」という言葉もあって、「人は与えられた役割を遂行する」または「遂行している演技をする」習性がある、という視点。
さっき言った例であれば、①のパターンは「気の許せる人の前での自分」と「それ以外の人への自分」は演じるキャラクターが違うわけですよね。どれだけ自分の”素”を出すか取捨選択しているわけですから、態度が変わって当たり前なのです。
②は役割演技が混合することで生じる戸惑いです。普段、バイト先では「店員」として、知人には「その人に対しての自分」を演じていますよね。それぞれのキャラクターは独立しているはずです。なのに、一つの場所でどっちの役割も混在してしまうと、「私はどっちのキャラクターを演じればいいの」と戸惑うのです。「店員として丁寧に接しようか、知人として親し気な態度をとったほうがいいのか」迷ってしまうため、なんとなく居心地の悪い気分になる、というからくりです。
③では、与えられた「リーダー」という役割演技を遂行するために頑張らなければいけませんね。自分はリーダー気質ではないと思っているけれど、「期待されているキャラクターを成功させなきゃ!」とプレッシャーがかかり、重荷を感じてしまうのです。
私はこの言葉によって、
人によって態度を変えることはけして悪しき行為ではなく、人の性質であり社会性があるゆえの行為なのだと知ることができました。
ちなみにEveさんのボカロ曲で有名な言葉ですよね。この曲もドラマツルギーに当てはめながら聴くと面白いです。
儀礼的無関心
次は、電車を乗る時のことを考えてみましょう。
ここでちょっとしたクイズ(?)です。
Q あなたが乗り込んだ電車には、人が一人だけ座席に座っていて、あとはガラガラでした。あなたは座る席を選びたい放題です。さて、A~Eのどの席に座りますか?
灰色の部分が車両、白い長方形は座席です。真ん中寄りの右上のほうに誰かが座っていて、下のドアから乗車すると考えてください。
・・・どうですか?
大抵の人はここでBかD、時々Cを選ぶと思います。
Aに座ったら、ほかの席がガラガラなのに相手に近距離すぎて決まりが悪いですよね。
逆にEは遠すぎて、この人を避けていると思われてしまうかもしれません。
Cもなくはありませんが、入ってきたドアからそこまで行くには少し距離がありますし、この乗客の注意をひいてしまいそうです。
となると、一番何の印象もつけず、相手に失礼のなさそうな座席であるB、Dが妥当です。
他にも例えば、電車内でたまたま他人と目が合った時。決まり悪くてパッと目を離しませんか?よっぽどじゃないと、ガンをつけ続けたりニコッと笑いかける(よく一昔前のモテる女性の仕草♡みたいな特徴でこう言われてたけど、実際やってた人いるのかな?たとえクラスメイトでもめちゃくちゃ勇気いるでしょコレ)人って居ないと思います。
これらの現象は「儀礼的無関心」と名付けられていて、「相手を不快にさせないためにわざと無関心を装う」という人間の行動心理なんです。
どうでしょう?この現象って一口に心理学にも、哲学にも括りにくくないですか?こういうのをひっくるめて分類できるのが社会学の便利なところ。
この2つの社会学用語はとても古典的なもので、他にも色んな現象に名前がつけられて研究されています。
自分だけが感じていたような違和感とか、「なんで人間ってこーなんだろ」みたいな不思議さが真剣に研究されてると思うと、とっても面白くないですか?
LGBTQも、生きづらさも
何度も言うように社会学は身近に潜んでいて、けして遠い話ではないことをわかってもらえたと思います(だといいな・・・)。
先ほど挙げた例は古典的なものでしたが、現代的な社会学もたくさんあります。
例えばLGBTQというジェンダーの分野も、発達心理学に関わる「生きづらさ」の話も、全部社会学的な観点から考えられます。
「どうして同性同士で結婚してはいけないの?」
「そもそも”普通の幸せ”ってなに?」
と、当たり前に疑問を呈する姿勢がすでに社会学に通じているのです。
そしてそこから発展して、
「性の多様性」や「生き方の多様性」を実現した社会を追求してゆく。
同学部生の研究テーマも様々です。
「ヒットソングと時代の変化について」とか、「北欧の暮らしは生きやすいのかどうか」とか、「整形と自己肯定感の因果関係」とか・・・。
そういった疑問から、「個人と社会の関わり」を調べて、より良い社会に繋げられないか考える。
目標は果てしなく壮大に見えるけれど、糸口は身近で親しみやすい学問だと思いませんか?
まとめ:社会学や哲学はいらない?
よく、「哲学って意味がないよな、考えてもキリがないことを考えて。社会に対して何ができるの?」という人がいます。
知名度が低いから明言されていないだけで、きっと社会学も含まれているんだろうと感じます。
人の思想は多種多様です。だから、「この学問は無意味だ」という人を否定しはしない。
だけど、私は哲学や社会学なしには今の社会はできなかったのだと言いたいのです。
昔の人々が従来の当たり前を疑って、いろんな価値観を生み出してきたからこそ変わったものがたくさんある。
昔は小さな子供が働きに出て当たり前だった。
女性が男性に従うのが当たり前だった。
教育現場で暴力が行われていても大ごとにはならなかった。
「自分はLGBTQだ」と声を上げることさえ、難しい風潮だった。
今を疑って、未来をアップデートしていく。
その繰り返しなんだと思います。人生も社会も。
だから、哲学も社会学も必要なんです。
社会学ってこういうことを学ぶんだ、となんとなくでも伝わったらとてもうれしいです。長々と読んでくださってありがとうございました。