怒りと光の語感が似てる、なんて冗談にもならない。
IKARI、HIKARI←スペイン語はhを発音しないらしい。←だからどうした。
頭の中で人格をブチブチ割いて、ちぎっては捏ねて、まとまったのにまた切って、血が上るこめかみが痛くて、壊れてしまいそうだ。
全て自分のせいにするのは、とても簡単で、自動的にその回路に乗せることが可能で、でもそれをすると最終地点は死しかなくて、やらない方がいい思考。無になれ。ロボになれ。いやいや笑いなさい、臨機応変に対応しなさい。厳密に行動しなさい。自分を棚に上げて指図だけは饒舌な立場のなんて多いこと。
上に立つ人間は、上に立っている自覚をもっと持った方がいい。自分が認識しているよりも1.5倍は、誤ちを犯していると自覚的になるべきだ。下の立場は必ず弱い、そして未熟だから必ず間違うのだ。ですから、自分なんかが指摘するのは烏滸がましい、不満を言ってしまえば己のミスが浮き彫りになるために声に出せない。そうして上の立場の人間の独壇場ができ上がる。
環境が悪い?組織が悪い?←正論です。正論なんだけれど、じゃあどうやって逃げようか?じゃあどうやって終わらせようか?助けを借りようと周りを見渡す時、自分が助けを求める勇気のない軟弱ものだという壁にぶち当たる。先手必勝、先回って私の言動を否定する仮想敵が現れる。何をやってもムダ、お前がそもそも悪い、っていうか普通に悪い。破壊と創造を繰り返さなければ強くなれないのだとすれば、柔らかいままでいい、筋肉痛も成長痛も要らない、夢にうなされて絶望を引き摺った満員電車の往復、そのどこに人生が挟まっているのだ?怒り、怒り、怒り、理不尽に打ち勝つために私も理不尽を身につければよいのか?戦う姿勢を身につければいいのか?違う違う、極端になるな。優しいまま強くなれる。優しい奴と強い奴は決して決して矛盾しない。
光、光、光、光を求めようとするから出会えないのだ、自分が今光の中にいることを自覚するのだ。それでも破壊を繰り返し、強くなるしかないのだ、もう二度と逃げたくないって泣いたのを忘れたのか。