cliché

駄文書き。amazarashi/歌詞考察/哲学/本や映画の感想/その他もろもろの雑感 について語ります。

綿あめ

私を繋ぎ止めるものを1つずつ剥がしてしまいたい。

高所が怖かったのに、最近は下を覗くようになった。川や街を眺めるのは、怖がる自分を確かめたいからだ。

虚無がやってくる。みんなこの虚無を抱えて生きているの?それとも感じないで生きていけるの?

楽しいことが増える度、それを感じるために生きてきたんだと思えた。それを感じられてよかったと、思えることに感謝した。

だけど、楽しさの上限値が上がることで、舌打ちだらけで無味な日常に苦しさが生まれるようになった。人間は最高を求める。いちばん記憶に残っているものを追いかける。一度味わった快楽を求め続ける。幸せなんてなくてよかったのに。

まともな親に育てられず、まともに親を愛せなかった自分は きっと幸福が似合わない。私がそれを作ろうとしても きっと歪な形をしているんだろうな。そんな苦しみを分かって欲しいと世界にせがみ続け、世界を恨み続け、そりゃあこんな人間じゃあーねー、と自分を嘲笑う。

全ての幸福は失われる幸福だ。

綿あめみたいなドーパミン

空っぽのオキシトシン

古い書庫の匂いがする

父の部屋は埃っぽくて、書庫のような匂いがする。

それもそのはずで、彼の部屋の壁は一面が本棚になっており、その容量にも飽き足らずベッドの上にも本を積み上げる有様だ。

歩きにくいし、危なっかしい部屋だったけれど、私はこの部屋に入るのが好きだった。

 


本棚っていいもので、他人に話さない内面や興味がそこに並べられている。

真面目な歴史小説医学書があるかと思えば、意外にも恋愛小説や女性のエッセイ本なんかも読むんだなぁ、と眺める。まだ子供だった私は、そのラインナップに全く興味をそそられなかったけれど、今なら話せそうなタイトルが何冊かある。売りに出される前に読もうと思って、いくつか盗んだ。

 


父は見た目によらず几帳面で、幼い頃渡した手紙やプレゼントをクリアファイルに取っていた。中から引き出した自分の手紙を読み返してみると、小っ恥ずかしい。


「ねえちゃんがいってました。子どもは、大人になるほどにしにちかずくって。

だから、パパもママも、どんどんしにちかずいてるってことだよね。そのまえに、たくさんのおもいでを、つくるといいよ。(中略)

おもいでづくりてつだってあげるから、たくさんなが生してね。」

 

とか書いている。
……生意気な。つくるといいよ。って誰目線だよ、とつっこみをいれながらしまう。

果たして私は思い出作りに貢献出来たのだろうか?というか、死ぬ間際にいちいち思い出なんて振り返れないのになぜ人はそれを大切にしてしまうんだろうね。ウケるな。ウケるウケる。

 


死んだ瞬間、全てが形見になるのが嫌だ。それは違うと思うから。ただのメモ書きが、ただの免許証が、ただのスクラップノートが、その全てに感傷的になるのは嘘だ。フィクションだ。自分の気持ちを自分で盛っている。

旅行雑誌にマーカーで目印がつけられている。鎌倉のページに紙がはさまれている。本棚の本を手に取ると、読みかけのページにブックカバーの袖がかませられている。その全てに感傷的になるのは嘘である。


エモいエモい!!エモ〜い!!と呟くと気が楽になる。軽い言葉は好きじゃないけど、軽い言葉は強い。消費するんだ。エモーショナルなんて欺瞞です。もう嘘をつきたくない。

「ただしい人類滅亡計画」を読んで

品田遊先生の「ただしい人類滅亡計画」を読みました。

 

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読み終わったあとの満足感がすごい。本を一気読みできる筋力がなくなってきた私でも、一日で一気読みしてしまうぐらい面白かったです。読み終わったテンションで、自分が考えたことをまとめておこうと思ってブログを書きます。

※ネタバレあり

 

反出生主義について

反出生主義についてはもともと興味があって、直感的に賛同する気持ちがあったのですが、その反面Twitterで流し見る人々の意見は受け入れにくい自分がいました。

 

「頼んでもないのに産むな」

「勝手に産んでおいて理想を押し付けるな」。

このセリフを聞いたことがない人はそうそういないでしょう。もともと母と仲が良くなかった時期があったこともあり、自分はこれを思う側でもありました。忘れてしまっているだけで、言ってしまったこともあるかもしれません。

それと同時に、違和感を抱いている自分もいました。自分で思う分には許せるのに、他人が使っていると賛同しかねるというのは浅ましい魂胆ですよね。けれど、ようやくこの違和感の正体に近づいた気がします。前述したセリフは一見正しく見えます。親側から「勝手に産んだ」という事実を否定することは難しいですし、相手を言い淀ませるには十分な火力がある言葉です。威力の強い武器は、自分で使う分には心強く、他人が使っている分には理不尽に映ります。そのため、自分は同じ意見を内包していながら、いざその意見を目にすると嫌な気分になってしまっていたのでしょう。

なので、様々な主義者同士が建設的に討論し、反出生主義について分かりやすく述べている本書は楽しく読むことができました。それぞれの登場人物がそれぞれの主張に違和感を持ちながらも、互いに意見を咀嚼している感じがとても気持ち良かったです。(本だからできることだとはわかっていても)

 

また、反出生主義にたいして曖昧な立場をとってしまうのは、年々成長してしまい、「誕生させられた」側から「誕生させる」側の年齢に近づいてきたことが理由の一つになるかもしれません。

そもそも自分が反出生主義に賛同する一番の理由として、「自分が良い母親になれそうにない」という思いがあります。私は自分が理想とする母親になれる気がしません。子供が不自由なく暮らせるだけのお金を稼ぐ自信もなければ、身を粉にして自分を子に捧げようという覚悟も持ち合わせていません。さらにいえば、自分の財産と時間と健康を捧げてまで赤ん坊を育てることにデメリットを感じてしまう気持ちもあります。

またさらに屈折した思いを書くなら、「私のようになって欲しいけれど私のようになってほしくない」というエゴを押し付けてしまうことが分かっているからです。

うまく説明できないのですが、私は自分の子供には「生を受けたことを苦しまない」側の人間になってほしくないと思ってしまいます。「家族は幸せの象徴だ」「愛ゆえの行動だよ」といった言葉を、誰かにかけない人であって欲しいのです。

その反面で、自分のようなひねくれた部分のない、まっすぐな思春期を過ごして大人になってほしいという思いもあるわけです。

それを両立している人ももちろんいるでしょうけれど、自分がそういった人に育てられる自信もない。しかも、その理想の押しつけは、あれだけ嫌っていた親のエゴの押しつけと同じです。私は自分の子供にきっとエゴを押し付けてしまう。自分の理想と違う人格が生まれたとして、それを愛し続けられるか定かではない。そんな未熟な人間のもとに子供は生まれるべきじゃない・・・。

このような気持ちが凝り固まっていくにつれ、反出生主義に親近感が沸き、気持ちが傾くようになっていました。

 

自分語りが長くなってしまいましたが、自分の立場を書いたうえで、今回の本の感想を残しておきたいと思います。

 

「ただしい人類滅亡計画」感想

まず第一に読みやすい。品田先生の小説はほとんど読んでいるのですが、とても読みやすい文章なのが特徴だと思います。言葉選びや文章内容は知的で難解な部分もあるのに、スルスルっと読めてしまうところが好みです。

また、それぞれの登場人物が自分の主張を全うしていて、作者の恣意的な動きを感じにくかったのも読みやすさの一つなんだろうなと感じました。

あと、様々な主張が分かりやすく解説されているので、哲学書の入門の入門みたいな感覚で読めました。興味があるけど学術的な本は読みにくいなーという場合にぴったりだと感じます。

 

概要としては、人類を滅ぼす役目を背負う魔王が、「人類を滅ぼすべきかどうか」人類に討論させ、理にかなっている者の結論を受け入れて実行しようとするーーという感じ。

会話仕立てでストーリーは進んでいき、それぞれの主義者が自分の立場で意見をぶつけ合います。

登場する人物はこちら。

ブルー ・・・悲観主義

イエロー・・・楽観主義

レッド ・・・共同体主義

パープル・・・懐疑主義

オレンジ・・・自由至上主義

グレー ・・・??主義

シルバー・・・相対主義

ゴールド・・・利己主義

ホワイト・・・教典原理主義

ブラック・・・反出生主義

 

 

※以下ネタバレあり

 

 

 

この中で一番共感できなかったのはホワイトです。私は信仰している宗教もないに等しいですし、都合のいいときしか神様を信用しないので。でも総人口で見ればホワイトのような方はかなりの人数います。日本で暮らしているとその視点の存在感が薄れやすいと実感しました。

逆に共感しやすかったのはパープル・シルバー。私は流されやすい性格で、なるほどなーと思った意見にすぐ風向きを変えてしまう性質があります。自分の性格を懐疑主義相対主義と言えば聞こえはいいけれど、その実自分の結論に責任を持って確定させることが怖いだけだったりします。主観を確立させられるようになりたい。

 

好感を持っていたのはオレンジとグレーです。「自由」とはそもそも議論が難しく、「個々人の自由を尊重する」こと自体不可能に近い感じがします。それを自覚したうえで主張できる強さがオレンジの尊敬できる部分だなあと思いつつ読みました。グレーは、おそらく実存主義の枝の一つなのではないかなと思うのですが、勉強不足で確信が持てないですね。実存主義がそもそも好きなので、正直無条件に好ましく思ってしまいます。

 

また自分語りになりますが、もし魔王に「人類を滅ぼしても良いか」と聞かれたとしたら、どうでも良いと答えると思います。消えてしまえば人類がいない世界を感じることもないし、そのあとの地球のことなんて知る由もないし。それに多くの人が「人間は愚か」というワードに賛成するところがあるでしょうし、ヒト嫌いの人間は少なくないと思うのですよね。特にここ日本においては。

でも始めの質問は、「人類を滅亡すべきかどうか」という問いでした。「~すべき」という問いには善悪・正偽が伴います。だからきっと討論が右往左往したのだと思います。そうではなくて、この世界に実存する魔王が導く答えはなんなのか、ということ。うまくまとめ切れないけれど、最後のところでグレーが話していた内容はこういうことだったのかなと考えました。

また、終盤でグレーが「エゴイスト」という言葉を使っていたように、利己主義と実存主義は共通項があるように感じます。これはこの本を読んでいなかったら知ることができなかった視点です。「自分が存在する世界」のみが正解というか、それ以外の人物は世界を構成する一要素でしかない感じ。(実存主義の方がもっと根源的な話をしているのだと思うけれど)

 

結局、反出生主義は道徳を同じくするもの同士では、非常に理にかなった清潔さがあるけれど、それゆえに机上の空論めいている。私たち人間は簡単に間違ったことをできてしまうし、それも含めて人間であるのだということを再認識できました。

グレーの言葉

最後にグレーが何を言おうとしていたのか考えています。

最終的に、魔王はグレーの言葉によって「最善の生き方」を知ってしまった。魔王の世界における脇役の言葉に耳を貸した、とも言える。つまり、グレーの実存への納得のいかなさが、言葉によって魔王に伝わった。うまく言葉にできないけど、「グレー」が魔王に継承されたような感覚があったのですよね。それを踏まえて、グレーは何を言おうとしていたのか気になりつづけています。

 

最後に

「神」が自身の実存を考えている描写は、新鮮で面白かったです。どのキャラクターも憎めない親しみやすい性格をしていて、色んな議題についてもっと話を聞きたいなと思いました。とても面白かったです。