cliché

駄文書き。amazarashi/歌詞考察/哲学/本や映画の感想/その他もろもろの雑感 について語ります。

好きという気持ちはただの我儘

 

 

谷山浩子さんが好きだ。大学受験に追われていた頃、私はよくiPodで谷山さんの曲をかけながら勉強していた。幻想的な曲、ユニークに狂ってる曲、優しい歌声、安心するメロディー。何より、すごく人間味のある歌詞が好きだった。

いや、人間味のあるって言葉は人間味がないな。リアルかって言われたらそうじゃないのだ。なんというか、体温を感じる。書き手の温度を感じる歌詞が多いのだ。

 

「好きという気持ちはただの我儘」という一文から始まる、「ボクハ・キミガ・スキ」という一曲は、特に印象的な歌だった。好きという気持ちはただの我儘。そりゃあそうだし、そりゃあそうなのだけど、すごく納得できるのに、私は誰かに言って貰えないと確信が持てなかった。

 

いや、indigoの曲からみる恋情とかいって記事を書いていたくせに真逆のことを言うなという人もいるかもしれないけど。恋心って尊い、人間みんな愛おしい!って思う日と、本当に好きってキモイなー、人間って醜いなと思う日と、それぞれあるのだから仕方がない。

 

ボクハ・キミガ・スキ

https://sp.uta-net.com/song/118388/

 

 

話は戻るけれど、好きって気持ちは持て囃されすぎだ。勝手に期待されて、勝手に失望される体験を何度か経験したことがある。

中学の時は、ろくに話したこともないクラスメイトに好意を寄せられて、それを知った別のクラスメイトにからかわれたりした。勝手に「〇〇の女」とか言われて、お似合いだねーなんて揶揄されて、本当に恥ずかしかった。告白されたので、本人に私の何が好きなのか聞いたら、「真面目で大人しそうなところ」と言われた。なんにも分かっちゃいないと思った。あなたはただ、自分でも話しかけられる、立場の弱い人間に好意的だっただけだ。私が友達とはしゃいで笑いあっていた時、急に「意外とおしゃべりなんだね」って引いた様子で話しかけてきたのがその証拠だ。結局その人とはそれ以上特に話すことはなかったが、それでもクラスメイトに「〇〇とどうなの」と聞かれたりして、正直迷惑でしか無かった。みんな恋なんてゴシップだとしか思っていない。誰が付き合って、誰が別れた。その始点と終点に興味があるだけで、その過程もその為人も、本当に興味を持っている人間なんてひと握りだ。

 

別の時には、仲良く遊んでいたグループ内の友達に好意を伝えられたことがあった。仲良くと言っても知り合って数ヶ月程度の関係だし、なんやかんやあってその人のことを友達としかみていないことは彼も承知の上だったのに。どうして打ち明けるのだろうと思う。打ち明けて気持ちが整理されるのは貴方だけだ。私は細心の注意を払って、間違った選択肢を選ばないように気を使って、そういう精神のすり減らしを勝手に強いられている。その人が何も言わなければ、私はそんな気を遣う必要などなかったのに。仲のいい友人Aさんは、仲のいい友人Aさんによって消されたも同然だ。何を語るかが知性で、何を言わないかが品性だというつぶやきが流れてきたことがあったけれど、全くもってその通りだと思う。黙れ、と思う。どうして黙れない人間ばかりなんだ。

 

好意に応えなかったから冷たくされることもあった。「ああこの人は自分のものにはならないから、これ以上仲良くしていても時間の無駄だ、次のターゲットにいこう」っていう思考回路なんだろうけど、あんまりだよね。私は本当に人間として好きだったし、友人としてこれからも仲良くしたかったのに、まるで私が悪魔みたいな扱いをする。

 

かと思えば、ちょっとおだてたり人当たりよく接すると「思わせぶりだ」とか言われる。好きなんて言ったことないのにね。「好きじゃなかったらできない」なんて言うけど、あなたは私なのか、とおもう。知ったかぶって、自分の見たいように私を見ているだけだ。好意を返さなかったらまた嫌われるから、返していたら言質を取られる。キモイ。人間って本当にキモい。キモイって言ったら人の心がないって言われる。きっと最低だねって陰口を言われるんだ。居なくなりたい。高校の頃は好きという気持ちは弱みだと思っていた。今もそう思う節があるけど でも毒でもある 毒っていうのもコミカルすぎるな とにかく嫌いだ。好きって気持ちはただの我儘。

酷い乱文ですみません。