雨男はダンス・ダンス・ダンス
「雨男」
https://j-lyric.net/artist/a052b38/l0335ae.html
セレンディピティー
誰かに見られてるよな~、と思わずにいられない偶然が良く起こる。心理学的に、カラーバス効果なんて名前が付いてるみたいだけど、どうにも運命的な物を感じてしまう時ってあるよね。つい最近もそんなことがあった。
ロバート秋山さんのクリエイターズファイルシリーズが大好きで、昨日、夜寝る前に流し見してたんだよね。昔の動画を久々にみたいなーと思って、声優の話とか、子役の話とか、透明感のある女優の話とか、スローフードアドバイザーの話とか見ていたんだけど笑。
コメント欄を見てたら、「絶対ベニシアさんを参考にしたでしょ!」と言ってる人がいた。
そのコメントで初めて知ったのだけど、ベニシア・スタンリー・スミスさん、というハーブ療法士さんがいるらしい。イギリスで生まれたハーブ療法士さんで、今は京都に住んでいる女性なんですって。
NHK「猫のしっぽ カエルの手 京都大原ベニシアさんの手づくり暮らし」という番組に出演されてたそうで、たしかに所々の雰囲気が秋山セレス・C・グロースさんに似てるかも、ね。
まあ、この日はこんなハーブ療法士さんがいるのね、と思ったくらいだったんだけどね。その後Chokiさんというyoutuberの方の動画を見ていたら、こんな言葉が紹介されていた。
嵐が過ぎ去るのを待つのではなく 雨の中でも踊ることが人生なのです
素敵な言葉だなあって。本当にそう思う。それに、amazarashiの「雨男」にもこんな歌詞があるなあって思った。
「止まない雨はない」 「明けない夜はない」 とか行って明日に希望を託すのはやめた 土砂降りの雨の中ずぶ濡れで走って行けるか?今日も土砂降り
悲しいこと、つらいこと、不安なことが過ぎ去るのを待っているだけでは良くない、と私は思う。だって人生の大半は嫌なことだらけだ。20を越えてから嫌でも感じる、「これからは別ればかりを経験する」なんて感覚。将来は確約されて行くし、体力はどんどん減っていくし、頭はどんどん悪くなるし、時代もなんだか暗く思えてこの世は大抵退廃的に思える。ナチュラルボーン厭世主義。それでもこの人生を良い物にしたいと思ってしまうなら、雨の中でも踊れるような、走って行けるような人になりたいって思うんだ。
そんなの正直難しいし出来ないって思う。どうして私ばかり不幸になるのだろうなんて、傲慢で幸せな不満を抱いてしまう。止まない雨はない、開けない夜はない、そんな世迷い言が大嫌いだった。止まない雨はなくても雨期は来るし、私の世界は極夜だけだなんて屁理屈もこねたりした。でもそうやって綺麗事にもつらいことにも唾を吐いていたら、中途半端で根暗な人間になっちゃった^_^!
だからこの歌を聞いたとき、そして今この言葉を知ったとき、本当にそうだよなあって痛感した。
どんなに時代や社会を憂いても、私は生きることになってるんだし、あと50年くらい道は続くんだと思うと、なんというか。自己卑下と劣等感を愛しているだけでは食っていけないなあと感じたんです。もちろん、好きだよ、自分を愛せないくだらない自分のこと。でもね~~憧れは自分で作らないと手に入らないから。だから自分をちゃんと愛せるために、何者にならなきゃいけない!って奮い立ってたんだよなあ(前回の雑感)。
偶然の一致
脱線が長くなりすぎた。とにかくこの言葉に感銘を受けて、誰がこの言葉を言ったんだろう?って調べてみたの。そしたらこの方のnoteで手がかりが分かったんです。
いろいろと制約があっても「雨の中でダンスダンス」ですよ。私、この言葉が気に入ってるんです。ハーブ研究家のべニシア・スタンリー・スミスさんという方がテレビで言ってたこと。「人生は嵐が通り過ぎるのを待つためにあるのではない。雨の中でダンスを踊れ」どんなに悪いことがあっても、悪い中での喜びがある。雨の中でダンスができる力を持て、と。
みつはしちかこ 「ひとりぼっちの幸せ」より。
やっっっっと本題なんだけどこの記事を今日見てびっくりして「え!?昨日知った人じゃん!」って軽い衝撃を受けて今記事を書くに至ったわけだ。偶然ってすごい。すごくない?昨日の今日でこれだよ。もうベニシアさんが完全に長期記憶の中にインプットされちゃった。
ちなみにさらによく調べると、実際はこのベニシアさんが出典ってわけでもないみたいで。
"Life isn't about waiting for the storm to pass. It's about learning how to dance in the rain"
人生とは、嵐が過ぎ去るのを待っていることが全てではない。それは、雨の中でどうやって踊るのかを学ぶことなのだ
(↑この方のブログを参考にしました)
どうやらイギリスのドールハウスの専門家である Vivian Greene さんがおっしゃったそうなんですね。覚えておこう・・・
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村上春樹の小説にも
またさらに連想を続けるんだけど。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」にはこんな一節がある。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。」
これはもちろん、現実のことを暗喩しているんだと考えるんだけど。何故頑張って生きるのかなんて意味を考えていたらなんにもできなくなってしまうというか。現実と向き合い続けなければならないよというメッセージなんだと思うんだけど、これに大きく通じるものがあると思うのです。
今までの自分は言い訳ばかりで、逃げ腰ばかりで、ていうか今も全速力で逃げてるしどうしようもなく怠惰なんだけど。それでも踊るべきだ、踊る方法を考えて生き抜くべきだなんて思うようになったんだ。
踊り方を考えなければ
もっと必死な人間になりたい。規則正しく、暮らしを大切にして自分を律せる人間になりたい。と憧れつつも深夜5時までFF14をやったりしてるんだけどさ!!!
この気持ちを忘れないようにしたいし、大切にしたいと思える言葉に出会えた10月を残して起きたいな~。
ちなみのちなみに、こういう何気ないところで素敵な出会いをすることをセレンディピティーというんだけどFF14にもそんな名前のキャラがいるみたいでびっくり。かっこいい響きだ・・・セレンディピティー・・・