古本の向こう側を考える時間が好きだ
単純な話なんだけど、中古で本を買うのが好き。古本屋さんが好き。作者への還元を考えると、あんまり大きな声で言えないかも知れないけれど、好きだなあと思う。
理由は値段じゃなくて(値段も0ではないけど…)、前の持ち主の人となりがうっすら見えるから。
ああ、この人頑張りやさんなんだなあとか、この問題をよく間違えたんだなあとか、字が綺麗だなあとか考えてしまう。気持ち悪いのは重々承知。
メルカリってそういう意味では面白くて、出品してるものをざっと見るだけでもなんとなく人物を想像できちゃう。使い古した医学書や歴史書ばかり出してる人をみると、聡明な人だな・・・って思うし、おしゃれなかわいい洋服や雑貨を出している人がいると、可愛らしい女性かなあとか断捨離してるのかなあとか思う。余計なお世話だ!って声が聞こえてきそう。
まっさらな新書も好きだよ。自分好みの本に出来るし、少しよれてきても「こんなに読んだんだ!」と思う指標になる。
でも古本も古本で、歴史というか人生を感じるから、イイ。多少書き込みやマーカーがあってもほっこりする。
世界一短い小説
あ。なんとなく思い出した話がある。「世界一短い小説」またの名を「フラッシュ・フィクション」。
「売ります。赤ちゃんの靴。未使用」
For sale: baby shoes, never worn
ヘミングウェイが作ったという逸話が残っているこの一文。始めて聞いたときはなかなか忘れられなくて、こんな短いセンテンスの中に膨大な物語が閉じ込められている可能性にビビった記憶。たった6語しかないのに、この靴を売ることになった経緯とか、親御さんの気持ちを考えてしまう。
そうぞうするために生きる
人はなんのために生きると思う?と聞かれたとき、私はよく「感動するため」と答えていた。
もしかしたらネコちゃんやイヌちゃんも感動しているかも知れないけど、何かを想像して、感動して、創造できるのって人間の特権だと思うんだ。
子どものころから、私達はごっこ遊びをしたり空想で物語を作ったりして、日々何かに感情を動かされながら生きている。
生きることに意味などないと思っているけれど、あえて答えを出すならば「そうぞうすること」なんじゃないかなあ。とか、中古で買った本の、書き込みを前にして考えてみる。